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標高差1000mを行き来するビールクズですがなにか?

田舎暮らしに憧れ原村にやってきたエセ都会人が、ガス抜きと称して夜な夜な東京(アキバとか)に出没する、いわゆるオタクのブログ、始めまぁぁす ヽ(´ー`)ノ

雑記

【忘備録】ライブドアブログにはグーグルアドセンスの自動配信は掲載できない

最近になって知ったので、書いておく。

グーグルアドセンスで掲載できる広告の一つとして、自動広告がある。

メリットとしては、

・増収が見込める。レイアウト、コンテンツ、既存の Google 広告に基づいてページを分析し、新たな掲載場所を特定できる。

・使いやすい。広告コードを 1 つ配置するだけで掲載できる。いったんコードを配置すると、サイトや広告設定に変更を加えても自動広告が自動的に対応する。

・サイトに合わせて広告を調整できる。自動広告設定では、サイト上のどこに広告を表示するかを柔軟に指定できる。

・モバイルに対応している。自動広告は、あらゆる画面サイズに自動的に対応する。アンカー広告やモバイル全画面といったモバイル専用のフォーマットにも対応している。


ただしこの便利な機能もライブドアブルグでは広告の掲載が許可されていない。
(2023年8月14日時点)

モバイルの設定にグーグルのアドセンスコードを入力すると、「有効でない広告コードです」というエラーメッセージが出る。

しかしPCの設定ではエラーメッセージも出なくて保存できるから注意が必要だ。

そのままでは広告の配信はできないからだ。

このため本ブログではディスプレイ広告を使用するようにしている。

長野県広報誌 2021年第1号についての意見

その広報誌は朝刊の広告とともに差し込まれていた。

広報誌は現在(2021/2/7)、WEB上に公開されている。
長野県広報誌 2021年第1号


NAGANOKOHO_1

美しい女性が2人、寄り添っている。

表紙には「THINK! NAGANO MODEL」と書かれていた。

最初、"MODEL"とはこの2人のことと思っていた。



次のページには、”個人モデル”という言葉。

NAGANOKOHO_2


そこには先ほどの左側の女性がブロックのようなものに腰掛けている。

まずはじめに書いてあるのは、

「障がいは本人の努力で乗り越える」。

それが「個人モデル」という考え方だそうだ。

まさに菅首相の理念である自助努力ではないか。

そこには行政の助けが必要なら、まず自分でなんとかしろ

という冷たさが感じられる。

その後に書いてあるのは、障害者なら自明の行動である。


そして、「本人が頑張って世界を広げる」

障害者ががんばりすぎないように、手を差しのべるべきではないだろうか?


左下の詳細な説明には、「障がい者が直面する不利益や困難は、

『足が動かせない』『耳が聞こえない』などの

個人の心身機能が原因であるという考え方


この「個人モデル」には、障害者の被る不利益は自身の障害によるものだ

と言われているようにしか聞こえない。



そして次のページ。

最初のページの右側の女性が、片足を少し上げて花束をぶら下げている。

NAGANOKOHO_3


「社会モデル」という考え方は

「障害があっても参加できる社会をつくる」ことだそうだ。

しかし、具体的には

「エレベーターやスロープを増やす」ことや、

「点字ブロックが安全に目的地に導く」ことしか書かれていない。

これって既にインフラとしてある程度機能している

ことではないだろうか?

あらためて「社会モデル」って取り上げることでもないと思う。

詳細な説明には、「障がい者が直面する不利益や困難は、

障がいのない人を前提に作られた社会の…(略)…

仕組みに原因がある」

とある。

ハードウエアとしての機能しか注目していなくて、

これからの新しい提案が何ひとつない。


もっと障害者を一般社会に受け入れるように、

健常者の意識の改革を促すような施策が必要なのではないだろうか?


安易にオシャレなモデルを使い、"NAGANO MODEL"をうたっているが、

内容があまりにも薄っぺらだ。


むしろ誤解を与えるような広報誌だと思う。



※後日、長野県のサイトに今回の広報誌についての見解が掲載された。


・内容について説明不足は認めている。

・制作意図が正しく伝わらなかった点についてはお詫びしている。

・民放でのCM動画、WEB動画については差し止めの上、説明する字幕の

 追加等を行う。


・今後の施策として「誰もが暮らしやすい共生社会づくり等について

 議論するオンライン集会を開催する」予定である。







酒は仕事の円滑剤か?

 前の会社にいた頃部長だった人が、さかんに飲みニケーションという言葉を使っていて、僕はそれがキライだった。

 会社が終わってからもなぜ会社のメンバーと絡まなければならないのか、それがとても苦痛だった。

 今思えばまわりが見えず、自分でいっぱいいっぱいで人のことなどかまっておられず、心をなくして仕事をしていたと思う。

 大きな企業ほど思うように動けない。

 チームとしての決断は遅くなり付随するメンバーが多くて会議ばっかりになったり。



 だから一度そのシガラミを断ち切り、フリーランスとなった今ではクライアントからいただける仕事のひとつひとつがありがたく感じる。

 今のクライアントは社員のみんなが見渡せるような小さな規模の会社である。

 出勤・退勤のときは会う人が必ずあいさつをかわすのでとても気持ちいい。

 困ったときは社員全員で助け合う。

 そんな会社とのお付き合いの方法は、僕のキライだった飲みニケーションであった。
(そうは呼びたくない。アルコールタクティクスとでも名付けようか)



 これからも僕を必要としてくれるだろうか。
(ちゃんとした契約もないから)

 そういう話は社内でシラフではしづらいもの。

 やはり酒の場でちょっとゆるんだ気持ちで懐に切り込みたくなる。

 いつもはとっつきにくくてコミュニケーションしづらい方も、こういう場では気さくに話ができる。

 いつの間にか僕はしたたかになったのかもしれない。


 思えばあの頃の部長と今の僕は似たようなことをしているのだろうか?




 

ハレとケのはなし

 久しぶりに東京に出てきた。

 いつもながら面食らうのは、目に入ってくる情報の多さだ。

 とくに電車に乗っていると、否応なしに飛び込んでくる広告の数々、思わず見入ってしまう。

 長野のローカル電車だと、中吊り広告がほとんどなくてさみしい限りだ。

 乗客の人々も多様性にとんでいて、人間観察してしまう。

 街を歩いていても看板の数にカラフルさ、ユニークさが目を引く。


IMG_3172

 
 でもこんなに情報にあふれている街に住んでいると、僕は消耗してしまうかもしれない。

 やはり普段はのんびりとした田舎に暮らし、ときどきこういう刺激的な街に出てきて頭を切り替える。

 そういうデュアルライフが似合っているのだと思った。

PC250003
 


腸捻転 闘病記4 ~退院編~

 ものを食べられるようになってから、メキメキ体力は回復していった。

 食事も、おもゆからおかゆ、ふつうのご飯へと変わっていった。

 その間も他のベッドは手術前の人が来て、オペ後に2~3日で出ていってしまう。 何人もそうやって見送ってきた。




 そしてアノ人達がやってきた。

 最初にひとり、お尻の関係の手術でコワモテっぽい人がやってきた。

 そして次の日、別のそんなタイプの人がやってきた。

 2人は初対面らしく、いろいろ話をしていたが、2人ともお尻の関係を患っているらしく大声で食事時もそんな話をしていたので、つい看護師さんにそのことを告げ口してしまった。

 そうしたら、ぼくがそのことを話したのがモロバレ(もう一人の同室の人は爺さんで、ほとんど寝たきりだった)になって、「アイツ、なんとかしてやろうぜ」みたいな話がベッドの向こうから漏れてきたのだ。

 そういう筋の人は主従関係がはっきりしているようで、年長の人の方を「アニキ」といって慕っていた。

 それが怖くて寝ていられなくなってしまい、看護士さんに助けを求めた。


 そうしたら休憩室を使わせてもらえることになり、退院までの数日の夜はそこで過ごすことになった。


 口は災いの元、でもガマンしていてはストレスで退院が延びたかもしれない。

 最後の最後で思わぬエピソードが追加されてしまった。


 都合3週間ほどの腸捻転・腸閉塞の入院は、初体験の連続であった。

 なんか生き方に対する考え方が変わった。

 これだけの痛い経験をしたのだから、あとはなんとかなるだろうと。 (完)

プロフィール

じゃんく 軍曹

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