その広報誌は朝刊の広告とともに差し込まれていた。

広報誌は現在(2021/2/7)、WEB上に公開されている。
長野県広報誌 2021年第1号


NAGANOKOHO_1

美しい女性が2人、寄り添っている。

表紙には「THINK! NAGANO MODEL」と書かれていた。

最初、"MODEL"とはこの2人のことと思っていた。



次のページには、”個人モデル”という言葉。

NAGANOKOHO_2


そこには先ほどの左側の女性がブロックのようなものに腰掛けている。

まずはじめに書いてあるのは、

「障がいは本人の努力で乗り越える」。

それが「個人モデル」という考え方だそうだ。

まさに菅首相の理念である自助努力ではないか。

そこには行政の助けが必要なら、まず自分でなんとかしろ

という冷たさが感じられる。

その後に書いてあるのは、障害者なら自明の行動である。


そして、「本人が頑張って世界を広げる」

障害者ががんばりすぎないように、手を差しのべるべきではないだろうか?


左下の詳細な説明には、「障がい者が直面する不利益や困難は、

『足が動かせない』『耳が聞こえない』などの

個人の心身機能が原因であるという考え方


この「個人モデル」には、障害者の被る不利益は自身の障害によるものだ

と言われているようにしか聞こえない。



そして次のページ。

最初のページの右側の女性が、片足を少し上げて花束をぶら下げている。

NAGANOKOHO_3


「社会モデル」という考え方は

「障害があっても参加できる社会をつくる」ことだそうだ。

しかし、具体的には

「エレベーターやスロープを増やす」ことや、

「点字ブロックが安全に目的地に導く」ことしか書かれていない。

これって既にインフラとしてある程度機能している

ことではないだろうか?

あらためて「社会モデル」って取り上げることでもないと思う。

詳細な説明には、「障がい者が直面する不利益や困難は、

障がいのない人を前提に作られた社会の…(略)…

仕組みに原因がある」

とある。

ハードウエアとしての機能しか注目していなくて、

これからの新しい提案が何ひとつない。


もっと障害者を一般社会に受け入れるように、

健常者の意識の改革を促すような施策が必要なのではないだろうか?


安易にオシャレなモデルを使い、"NAGANO MODEL"をうたっているが、

内容があまりにも薄っぺらだ。


むしろ誤解を与えるような広報誌だと思う。



※後日、長野県のサイトに今回の広報誌についての見解が掲載された。


・内容について説明不足は認めている。

・制作意図が正しく伝わらなかった点についてはお詫びしている。

・民放でのCM動画、WEB動画については差し止めの上、説明する字幕の

 追加等を行う。


・今後の施策として「誰もが暮らしやすい共生社会づくり等について

 議論するオンライン集会を開催する」予定である。