僕は人材会社への登録を行った。何社か面接に行ったが、やはりいつものコミュ障癖が出たのか、良い思いはせず数ヶ月を棒に振った。
それぞれのジェネレーションのおわりを迎える頃、僕は焦りを感じドタバタともがき始める。今のチャンスを逃せばこの場所を出ることはできない妥当という思いが、当時の僕には充満していた。
いつも手に取っている技術情報誌のとある起業の広告が目に止まった。その企業のCMから受けるイメージには、共感を感じていたのを思い出した。ユニークなものを作っているところで仕事をしたい。いわゆる都市部ではなく、信州の田舎にある企業に僕は履歴書を送った。
面接に行く時、中央自動車道でその会社に向かった。標高は上がり、両脇は緑の山々が行く手を阻む壁のように感じた。
面接で会った人はわりと若い人事部の担当の人と、白髪交じりの受け入れ先になるであろう事業部の次長であった。人事の人からは、今までの給与より下がることになるが、地方での生活では誘惑も少なく物価水準も若干低いのでトータルで見ればイーブンという話(要は今までより収入減となるが生活水準は変わらない)を聞いた。ちょっと煙に巻かれた感じもあったけど。。。 次長の「ものづくり」にかける情熱は魅力的で、自分の身を託してもいいと思えた。
こうして職も決まり、信州での生活が始まるのであった。