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標高差1000mを行き来するビールクズですがなにか?

田舎暮らしに憧れ原村にやってきたエセ都会人が、ガス抜きと称して夜な夜な東京(アキバとか)に出没する、いわゆるオタクのブログ、始めまぁぁす ヽ(´ー`)ノ

村に来るまで その2

 僕は人材会社への登録を行った。何社か面接に行ったが、やはりいつものコミュ障癖が出たのか、良い思いはせず数ヶ月を棒に振った。

 それぞれのジェネレーションのおわりを迎える頃、僕は焦りを感じドタバタともがき始める。今のチャンスを逃せばこの場所を出ることはできない妥当という思いが、当時の僕には充満していた。

 いつも手に取っている技術情報誌のとある起業の広告が目に止まった。その企業のCMから受けるイメージには、共感を感じていたのを思い出した。ユニークなものを作っているところで仕事をしたい。いわゆる都市部ではなく、信州の田舎にある企業に僕は履歴書を送った。

 面接に行く時、中央自動車道でその会社に向かった。標高は上がり、両脇は緑の山々が行く手を阻む壁のように感じた。

 面接で会った人はわりと若い人事部の担当の人と、白髪交じりの受け入れ先になるであろう事業部の次長であった。人事の人からは、今までの給与より下がることになるが、地方での生活では誘惑も少なく物価水準も若干低いのでトータルで見ればイーブンという話(要は今までより収入減となるが生活水準は変わらない)を聞いた。ちょっと煙に巻かれた感じもあったけど。。。 次長の「ものづくり」にかける情熱は魅力的で、自分の身を託してもいいと思えた。

 こうして職も決まり、信州での生活が始まるのであった。




 

村に来るまで その1

 僕はとても疲れていた。来る日も来る日もなぜ仕事をしてるのか繰り返し考えていた。とある研究所にて与えられたテーマに取り組んでいたのだが、それが本当に実用化されるか、実験している僕本人が首を傾げる事態だったのだ。それでも仕事は結果をまとめて論文にしていけば残る。しかしやりきった感はなかった。

 僕がその研究所へ入ったのは、高専の担当教授からの言葉だった。
「君は普通の会社には向いてないので、ここに行きなさい。」
 当時からコミュ障だったのだが、なぜか面接を通って入社することができた。

 新卒の同期を見ても、周りは院卒だらけ。みんな自分の実験テーマを持って研究している人が多い。工業高校出た人は機械加工とか設備関係でがんばっていた。

 その中で僕の立場はどうしても中途半端だった。同じ高専卒の同期はそれなりにモチベーション保っていたから、コミュニケーション能力の差だったのだろう。

 いつかは形になると思えばがんばれたのかもしれない。でもその当時の僕には砂上の楼閣に見えた。でもそれ以上がんばっていたら、そこで僕はすでに病んでいたかもしれない。

 どこかカラダの中の虫の知らせが囁いたのだと思う。

 自分のやった仕事が最終的にお客さんに届いて、喜んでくれたらうれしい。「ものづくり」に携わりたい。そういう思いがこみ上げてきた。


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